死んでも残る

例えば「今日」もしかしたらこの投稿をした直後、私が死んでしまったとしたら・・

原因は、なんでもいい。
交通事故でも、突然の大地震でも、海外からのミサイルでも。

死んだその瞬間に私の時間は停止する。
その時間は、二度と刻まれることはない。

仕事やプライベートでも皆の記憶から少しずつ消えていく。
(消えるというより、私の占める割合が将来の時間を含めて少なくなっていく)

しかしそれでも、

私のGmailアカウントはメールを受信し続け

私のGoogle Adsenseは僅かながら受け取る者の居ない口座に貯金し続け

私のブログは、これからも時々来る来訪者に私の過去の記録を提供し続け

私のTwitterアカウントは、フォロワー達のつぶやきを表示し続け

私のモバゲーは、知人の日記を更新し続け

amazonは、私の過去の嗜好にあった商品を提供し続け

Youtubeは、おすすめ動画を提供し続ける。

もしかしたら、今日見たブログの管理者も、実は既に他界されているのだとして、私はその瞬間、確かにその人の存在を感じていた。

それは、どういう事かといえば、現実的には存在しない人が、ある人(私)の主観では、存在していることになったりする。

存在しない人間に対して、私はコメントを送信する。

リアルでは、ありえないコミュニケーションがウェブには存在する。

ウェブは、生命の存在を超えられる可能性を持っているのか。

・・・そう考えると、「インターネット」が2010年のノーベル平和賞候補に?というのも頷ける気がする。

自分のホームページなんかは、ホスティング期間が満了すれば、いつかは契約解除され、フォーマットされて、いずれは、誰かの新しいウェブサイトで上書きされるのだろう。